人の顔色を伺って生きるのって苦しくない?
ぼくは、自分の思ったことや言いたいことを口に出すことが苦手です
(正確に言えば、昔よりは良くなりました)
それは単に恥ずかしいからとか、うまく言葉にできないからとか、そういう理由じゃないんです
このようになった理由は、ぼくの幼少期にあります
父子家庭
僕には母親がおらず、父親に育てられてきました
父は考え方が昔の人間だったため、悪さをすれば叱るだけではなく、グーパンチも飛んでくるというのが日常的でした
また、些細なことでも突然怒り出すため、幼かったぼくは常に父親の顔色を伺って生活していました
小学生の頃はこんなことがありました
ぼくは父より早く家にいることが当たり前だったので、父が仕事の休憩時間に入ったタイミングで電話にて「お米を炊いておいてほしい」と頼まれたことがありました
ですがぼくは友達と遊ぶ時間が迫っていたので「遊びに行くから無理だよ」と返答しました
すると怒り口調で「もう2度とやらんくて良い」と言って電話をブチっと切られたんですね
結局、殴られたくなかったので頼まれたことはやって遊びに行きました(遅刻しました)
僕は誰なんだろう
このような経験からぼくは親へ抵抗する気持ちをなくし、何かを頼まれれば「はい」と言い、予定が入っていても頼まれごとを優先し、自分の思ったことも言わなくなり、まるで操り人形のようになっていきました
「自分が我慢すれば良いんだ」、「反抗や抵抗しなければ怒られることはない」と幼いながらに考えたのでしょう
そして幼い時の経験と考えたことは、社会人になったある時までずっと影響を及ぼしてきました
例えば、友人と出かける時に行き先を決めるとき
友人「ここどう?」
ぼく「(本当はこっちが良いけど)あ〜良いね!」
みたいな。
ちなみにこれは社会人になってからの話です
自分の意見ばかり押し付けるのも良くないから、これがいけないことだとは一概には言えないですが、友人と遊ぶときですらこんな風に考えてしまう時があったし、こんな風に自分の意見を言えない自分が嫌いでした
そしてある時ふと「誰の人生なんだろう」なんてことを考えた時に、「自分が生きたいように生きれないまま死ぬのなんてまっぴらごめんだ」と思いました
そう思ってからぼくは、自分を変えるための取り組みをスタートさせたのです
- 恐れずに自分の意思を伝える
- 思ったことは口にする
- 人に合わせすぎない
この3つは自分が幼い頃に親が怖くてできなかったこと、そしていまになっても克服できていないことです
特に3つ目に苦戦していて、「ここは合わせるべきなのか⁉︎」というふうに戸惑ってしまうことがあります
良い意味で捉えれば空気が読めるようになっているということでもあるのですが、中々その辺りの区別が難しいですね。
ですがやらなければ変わることはできないので、少しずつ頑張ります
おわりに
今回は自己報告のような記事になってしまいました
ブログというと、どうしても人の役に立つ記事を書かなければいけないとずっと思っていたんですが、このはてなブログのキャッチフレーズ「思いを、言葉に」を見てそんなこともないんじゃないかと思ったので今回はこのような記事を書きました
みなさんは自分の人生を生きていますか?
人の期待に応えるために無理していませんか?
自分の人生で使える時間は限られていますよ
自分の好きなことをしてみましょう
今日はこんなかんじ!
「思いを、言葉に」
いいキャッチフレーズですね
ばいばいっ